2018/02/15
今週末は少しだけハードでした。
土曜は親の大学病院付き添い、日曜は実家ねこの退院お迎え。今年はどうやら試練の年になりそうな気がしてならない。そんな気がする2022年の寅年。
それでもやっぱりお腹はすくもので。診察待ち時間の隙を見て、ビッグホップ・ガーデンモール印西のロピア・ザ・ビフテキを食べに行ったりもした。
いつもと少し違う週末でも、いつもと同じようにお気に入りご飯を食べてみるって、それはそれできっと大事だ。
ここのお肉は本当に美味しい
年を重ねたら、それはそれは当たり前のようにいろいろあることでしょう。自分以外の誰かにも、もちろん自身にも。
色々なことがこれからも待ち受けているだろう。想定外のことが、人それぞれの身に降りかかることだってあるだろう。人はいつだって、想定外のことが起きると狼狽してしまうものだ。だって想定もしていなかったんだもの。
それでもひとつだけ確かなことは、後悔だけはしたくない。ということじゃないかな?と、自分は思っています。
誰かに必要とされたのなら出来る範囲のことであればやりたいし、それがせめてもの些細な恩返しになれたらとも思う。
これはきっと親子関係だけでなく、仕事やプライベート何にだって当てはめることができるだろう。自分はひとりで生きている訳じゃないのだから。
Taka ja etu
Taka ja etuとはフィンランド語で「前と後ろ」という意味らしいです。あれ?そんな意味で付けたタイトルだったか?どうかも怪しい。
なんとなく「光と影」みたいな翻訳語を用いた気がするのだけど、それも勘違いかもしれない。
ちなみにフィンランド語を用いているのは、あんまり深い意味ありません。サウナ好きになって以来、作った曲にはフィンランド語を付けるようになったという単純な動機です。
年が明けても新型ウィルスの話題は相も変わらず、その他ウクライナ情勢も怪しかったりなんだりと、相も変わらず暗い気持ちになりたければいくらでも暗い気持ちになることができるニュースで世界は溢れている。
そんな憂いもありながら、それでも明るく前向きに、元気にやっていきたい。光を見るか、影を見つめるのかは誰が決めるものでなく自分で決められることなのだ。
ちなみにウクライナ情勢や石油価格の高騰が急に気になってしまったのは、遅ればせながら積み立てNISAなるものを今年から始めたからである。そうしたら急に世界情勢が気になってしまい、始めたら始めたで何かまた新たなストレスの種を自分から作ってしまったような気もしている。が、一喜一憂せずこつこつと積み立てをしていきます。
Gale
あらかじめ組み込まれている音源に、思うまま音を被せ、ほとんど編集し直さないであげちゃいました。
ランボー怒りのアフガンならぬ、ランボー投げやりな投下(アップロード)だ!なんて思いながら。
前述の、週末にやらなれければいかないことが重なった中で「もう、いいや。このまんまで!」と投げやりになってしまった節もある。
次こそ気持ちがアガッていくようなノリノリ(死語)な曲調のもの、作ろう・・・作れるテクニックを覚えていきたい。