2018/02/15
画像は「東京十社めぐり」より
2018年から始めてみた東京十社めぐり。最初は赤坂の氷川神社へ参詣です(平成30年1月20日)
東京メトロ日比谷線「六本木駅」から、普段は歩くこともない六本木界隈の住宅街を歩いて向かいます。
赤坂氷川神社について
- 御祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)
- 例祭日:9月15日
- 所在地:東京都港区赤坂6-10-12
- 最寄駅:東京メトロ千代田線「赤坂駅」より徒歩8分、東京メトロ日比谷線・都営大江戸線「六本木駅」より徒歩8分、東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」より徒歩8分
- 公式サイト:https://www.akasakahikawa.or.jp/
御由緒
天暦五年(951)赤坂一ツ木に創祀す。紀州徳川家赤坂邸の産土神の由縁によって、江戸幕府の尊信篤く、享保十四年(1729)徳川八代吉宗公が現社殿を造営、以降十四代家茂公まで歴代の朱印状が収められている。
現社殿は吉宗公が建立されたまま現存する他、境内には至る処に江戸の年号が刻まれた鳥居・燈籠・狛犬が数多く残り、江戸の情景が数多く残る神社である。引用:東京十社めぐり 赤坂氷川神社より
徳川幕府との関係
こちら氷川神社の御由緒では、徳川吉宗公の御名前が出ています。関ケ原の戦いに赴く前、徳川家康公が品川神社へ勝利祈願に参拝したことなどから、都内各所の神社の多くは江戸幕府の影響を色濃く受けたものなのかもしれませんね。
これは勝手な憶測に過ぎませんが、氷川神社も品川神社も江戸城からは西南に位置しています。西南方向は関ケ原の戦いなど歴史的背景からも、幾度となく重要な局面に立ち向かうことになった方角です。江戸幕府がこの方角に位置している神社に特に重きを置いていたことも、そうした時代背景と関係していたのではないでしょうか。
数々の災難も乗り越えて今の姿
御社殿は、安政の大地震・関東大震災・東京大空襲の被災を奇跡的に免れたころから、今も江戸時代当時のままの姿として残っています。
御朱印
御朱印の初穂料は500円です。
氷川神社の風景をいくつか
六本木や赤坂というと、少し賑やかなイメージがあるのですが。そんなメインストリートを一歩路地裏に入ると、とても静かな街です。
様々な国の大使館で働いている方の居住区域にもなっているので、至るところに警備員が立ってもいます。何処かの国の大使館で働く方の居住区域の前を通りかかると、ちょうど帰宅してきたのでしょうか。お子さん連れの素敵なダディを見かけました。
「コンニチハ」「お疲れ様です」と、ダディの片言の挨拶と警備員とのやり取りを目にすると、世界はそんなに悪い方向に向かっている訳ではない。なんて思ったりもします。
そんな雰囲気の道を歩いていくと、さらに落ち着いた場所に現れるのが氷川神社です。
数年前の参拝時に観かけた、境内の木の枝がおでこにめり込んでしまっている狛犬の姿は、2018年には見つけるこことができませんでした。枝が伐採されていしまったのか、狛犬が移動されてしまったのか。
地図
2018年の東京十社めぐり記録
- 根津神社
- 神田神社
- 亀戸天神社
- 白山神社
- 王子神社
- 日枝神社
- 品川神社
- 富岡八幡宮
- 氷川神社(2018年1月20日)
- 芝大神宮