2018/02/15
この日は仙台にて8時半起床。前夜は、やや飲み過ぎたかもしれない・・・。
泊まらせて頂いた職場おっちゃんご実家にて、焼き鮭と美味しい白米に納豆、お味噌汁の朝食を頂きます。
今さらながら思うのだけれど、朝食に食べる焼き鮭って、どうしてあんなにも美味しいのだろう。普段の生活で朝ご飯に焼き魚を食べることは、まず無い。齢80を過ぎたお母さまに振る舞って頂いた、優しい味付けの朝食は忘れないと思う。
職場のおっちゃんと、そのお母さまと。自分の3人で食べる朝ごはん。何となく不思議な光景だったけれど、お婆ちゃんの笑顔が素敵だった。
前夜、仙台市内で人生初のホヤを食べたことをお伝えすると、なんでも東北ではスーパーで当たり前のように売られているとのこと。お婆ちゃん、昨夜もホヤを買ってきて焼いて食べたそうです。
「やっぱり自宅で焼いたりすると、さぞかしホヤホヤで美味しいんでしょうね^-^」
・・・。焼き鮭を頂きながら、それとなくつぶやいてみた(自身にとって)渾身のヒトコトは、どうやら誰の耳にも入っていかなかったようである。そうしてまた、静かに焼き鮭の身をほぐしつつ朝食を頂いたのでした。
東北ツーリング最終日に福島を巡り、感じたこと
9時過ぎに仙台市を発ち、せっかくなので松島に立ち寄ってみた。
松島湾内を一望できるという「君が岡公園」に行ってみたけれど、目の前の電線がちょっとだけ残念な感じ・・・
それに、やや遠くないかい?
ということで、もう少し湾内の方まで行ってみることに。
松島湾のそこは、とてもゆったりとした時間が流れていた。
釣り人も本当にのんびりと過ごしているような感じ。防波堤に座り、しばらくのんびり過ごしちゃいました。
国道6号を南下して、南相馬へ
宮城県は松島をあとにし、国道6号を南下して福島県相馬方面へと向かう。
海に近い国道6号を走っていくと次第に景色が変わっていく。今も建設中と思われる防波堤が長々と続き、国道を走っていても、まったく海が見えない。
途中、小高い丘のような形をしている高台の公園が目につく。ここに登ったら防波堤の向こうの海を少しでも眺めることができるかもしれない。そう思って立ち寄ってみると、そこは「避難丘」という名前の看板が掲げられていて、公園ではなく「避難場所」として設けられたものだということを知る。
そこから海のほうを見渡してみると、見えるのは北から南まで延々と築かれた堤防でした。
堤防の上に登ったら、海は見える。でも、国道を走っているだけでは海を眺めることも出来ないような大きくて長い堤防が続いていた。
中浜小学校跡地にて
さらに南下していくと、更地続きの道に突如、建屋が見えてくる。
その建物は「山元町中浜小学校跡地」でした。
2011年3月11日の震災当時、この学校の教員と小学生数十名が命を取り留めた場所。
エンジンを止めたら、ほとんど何の音も聞こえてこない。とても静かな場所に中浜小学校跡地はありました。
津波による漂流物で倒れたと思われる時計台の柱も、おそらく当時のまま。
長針の根本と思われる針はクルリと下を向いてしまっているけれど、短針は恐らく震災当時、16時前を指した位置のままなのだろう。
この校舎をぐるっと廻って眺めていると、何をどう表現してよいのかも分からない、何とも言えない感じになる。
2011年当時の震災を忘れない、と言葉にするのは比較的に容易かもしれない。
それを思い出し、いざという時の震災に備え、水など備蓄品を買い揃える行為もすぐに出来ること。
でも、本当に忘れてはいけないこと(というか、忘れたくないこと)って「実はこんなにも脆く、危うい世界の上に生きている」ということなんじゃないだろうか。
東日本大震災後しばらくの間は、関東圏でも節電だなんだと、駅のコンコースやデパートも照明を落としていた時期があった。いつもは当たり前のように煌々と灯っていた街の明るさが、少し落ちただけなのに妙に暗さを感じた。
そんな薄暗さと呼応するかのように、街を歩いてる皆の表情もどこか暗かったことを覚えている。単に、そう見えただけかもしれないけど、も。
この年、例年より少し遅れて開幕したプロ野球も、しばらくの間は全く楽しめなかった記憶があります。
2011年当時に起きたことを忘れないのはもちろん。それと同時に「あの時、何を感じたか」を忘れず過ごしていこうと、改めて思い直すキッカケになった。
松川浦は、気持ちの良いツーリングロードだった
東北ツーリングに出かける前から、ツーリングマップルを見ていて気になっていた場所「松川浦(まつかわうら)」にも立ち寄ってみました。ひたすら直線な道が気持ち良い!
この後、ちょっと遅めのランチは原町にある「とんかつ大甕(おおみか)」さんで頂きます。
右上の白米が入った器はおひつです。
おひつの大きさで、何となくとんかつのボリューミーさが掻き消されてしまっている感があるけれども・・・
厚さも大きさも平均以上で、かなりお腹いっぱいです。
ちなみに、おひつには大よそ2合は入っていると思われる・・・笑
茶碗1杯のご飯で、とんかつ1切れ食べる位の感覚でいけば、きっと食べきれるんじゃないかという程の量。とてもじゃないけれど食べきれず・・・ごめんなさい、白米は残してしまいました。
御膳を下げに行った際、女将さんに尋ねてみると「おひとり様で、この白米も食べきる人も中にはいる」とのこと。いやはや、すごい方もいるものです。
※デフォルトでこの量の白米が出てきてしまうので、明らかに食べきれないと思われる方は注文時に、減らしてもらうようお伝えするのもアリでしょう。
小高い丘ひとつ挟み、福島第二原発を望む場所へ
とんかつ・おおみかさんでお腹を満たし、そのまま国道を南下するとしばらくして電光掲示板がポツポツと現われはじめる。
「〇〇km先、徒歩・二輪車は通行止め」の文字。
今現在も立ち入りが制限されている地域に差し掛かっているのだということを実感する。
二輪車がここを迂回するには、常磐道「浪江IC→富岡IC」を進むしかないことは予め知っていたので、この区間だけ高速道を使って移動します。
20kmほどの高速道だけれど、走っている道中に「この地点の放射線量:X.X μSv / h」という、普段は決して見ることのない電光掲示板を目にするたび、何処となく居心地の悪さを覚える。
富岡インターを降りたあと、富岡町内にある国道112号を走り街中を走る。
荒れたままの畑、人影のない住宅街。雑草が腰のあたりまで伸びたまま放置されている校庭、真っ暗な校舎。
その風景を写真にも残しておこう。そんな思いも浮かばず、ただただ雰囲気に呑まれながら走った。
国道112号を沿岸部へ走った20キロほどの道で、目にしたのはパトカー1台、そしてボランティアと思われるパトロール車2台だけだった。
沿岸部へ出たあとは、徒歩にて第二原発が見える場所へ。
小高い丘を挟んだ向こうに、原子力発電所の建屋と排気筒が見える。
現在は稼働していないとは言え、やはり生々しく思ってしまう。
東北巡り最後のお宿「東京庵」に泊まる
東北ツーリング最後のお宿は「東京庵」さんにて、こちらも素泊まり。
すっかり陽も落ちてからの到着だったのだけれど、灯りのともったお宿看板が良い雰囲気を醸し出していました。
4畳半という、一人身には必要充分な広さの個室には冷蔵庫も用意されていて嬉しい。
共同風呂に入浴したあと、部屋に戻ろうとしたら、このお宿で飼われている猫が当たり前のように廊下で寝そべっていて、しばらくナデナデさせてもらう。
こちら東京庵のお宿では、3匹の猫を飼われているそうで、1番なつっこいのは、こちらイチバン下の白猫「さくら」とのことでした。
2019年5月3日のルート
走行距離:290km。
仙台を出発し、福島県湾岸部を南下したルート。北茨城から東京庵に向かうまでに走った「グリーンふるさとライン」は、最高に気持ちの良い道だったのでオススメです。