2018/02/15
ここ数週間、ちょっとした事情のために週末も自宅で過ごしています。
バイクいじりや何処かへ出かけるということが、まったく出来ておらず・・・。ということで、今回は久しぶりに鉄馬でないほうの馬のはなし。歴代の出資馬の回顧録を書いてみました。
ラプリマステラ(牝 2007年4月23日生 11戦0勝)
- 父:アグネスタキオン 母:ラプーマ
- 友道厩舎
- 成績:平地 未勝利(0-1-2-8)
忘れはしない、キャロットクラブ入会時の初出資馬。アグネスタキオン産駒に出資できたのは泣いても笑っても、この馬が最初で最後だったこともあり、とても記憶に残っています。
未勝利戦、阪神の芝・千八は、たまたま嫁さまの実家・神戸帰省中だったことが重なり運よく義理の兄と現地観戦。向こう正面で早くも福永騎手がムチを入れ、直線に入ってからモノすごい脚で追ってきて。一瞬、1着馬を差し切ったように見えたけれど残念ながら結果は2着。
この向こう正面ムチ一発で一気に嫌気がさしちゃったのかどうかは分からないが、その後は人気に反して2桁台の着順が続いてしまう。上村騎手が色々と工夫を交えつつ、辛抱強く乗ってくれていた記憶が残っています。
※ちなみに、久しぶりに「うえちんのひとりごと」(上村洋行・元騎手のブログ)を拝見したところナント!上村元騎手、2017年12月に中央競馬会の調教師免許に合格されていたのですね!おめでとうございます。早ければ2019年開業とのことなので、もしもキャロットクラブからの預託があったら嬉しいです。
ヒアズルッキング(牡 2008年4月8日生 15戦1勝)
- 父:サクラバクシンオー 母:ヒアズホーピング
- 伊藤圭三厩舎
- 成績:平地 500万(1-1-3-6) 障害 未勝利(0-0-2-2)
入会初年度のアグネスタキオン産駒から路線を変え、現役時に好きだった馬の父産駒に出資するべさ!ということで、サクラバクシンオーの仔、ヒアズルッキング。
中央の未勝利では惜しいレースもあったものの、最終的には地方交流戦にて何とか1勝をあげて勝ち上がれたものの、やはり中央に戻ってからは厳しい結果が続き傷害レースへと転向。傷害レースにも慣れ始めた頃、屈腱炎を発症してしまって引退。
特別な結果は残していないけれども、伊藤圭三先生のもと大切に扱われていたことが印象に残っている。毎週のコメントも、とても分り易くて丁寧で。上の写真は地方交流戦時のもので、パドックにて馬を引いていたのはなんと伊藤圭三調教師ご自身。後にも先にも、馬引きをご自身でやられる調教師をお見かけしたことはない。
エースドライバー(牡 2009年3月15日生 14戦0勝)
- 父:フジキセキ 母:カツラドライバー
- 鹿戸雄一厩舎
- 成績:平地 未勝利(0-0-0-11) 障害 未勝利(0-0-0-3)
2歳新馬のデビュー戦を1番人気で迎えるも、良い雰囲気で最終コーナーを外から追い出してあがっていったところで、他馬の落馬アクシデントのあおりを受け急ブレーキ。惜しくも4着。それなりのスピードも持っているので、これなら勝ち上がりもそう遠くはないだろうと思っていたのですが、その後も6着、4着、9着と、徐々に調子を落としていってしまいました。
引退時、鹿戸先生のコメントにあった「本当に初戦のアクシデントが悔やまれます。あのあとからリズムも馬の気持ちの部分でもまったく変わってしまいました。」とのお言葉。たったひとつのアクシデントで、メンタルが変わってしまうこともあるのだということを知りました。
募集時のカタログやDVDでは、いかにもフジキセキ産駒らしいトモや胸前の筋肉。そこに惚れ込んで出資したのですが、残念ながら結果がついてきませんでした。※ひいき目に見ても上の写真、久し振りにエースドライバーの姿を改めて見ても、未勝利馬の体格ではないなぁと思ってしまいます。
シャイニングタイム(牝 2010年2月19日生 4戦0勝)
- 父:フジキセキ 母:アウトオブタイム
- 荒川義之厩舎
- 成績:平地 未勝利(0-0-0-4)
馬体重が常に420㎏前後となかなか増えず、調整にも苦労されていた印象があります。
デビュー後の4戦目、最後の直線ゴール手前で故障を発生しそのまま予後不良となってしまう。今この日記を書いているなか、久しぶりにnetkeiba掲示板を覗いてみると、弟のスペシャルタイムも3歳時、調教中に心不全で亡くなってしまったことを知る。
母アウトオブタイムに、ミスワキの2×3というキツめのクロスが入っていることが何かしらの影響を及ぼしてしまっているのではないだろうか、と勝手に想像しています。
トゥルーモーション(牝 2011年2月10日生 7戦0勝)
- 父:ゼンノロブロイ 母:トップモーション
- 木村哲也厩舎
- 成績:平地 未勝利(0-0-0-7)
募集時から歩様もよく、まだ細く見える部分はあったものの体つきもしっかりしていた。父ゼンノロブロイということで、長距離適正があればこれまでの出資馬とはまた異なるレース選択になるのではないか?という期待も込めて出資しました。
デビュー時もそれ以降も、体つきはしっかりしているもののイレ込みが激しく、なかなか結果が残らず。6月に早期デビューしながら、レースを挟まずにトレセン、NF天栄とNF空港とを行き来したりと、調整面でスムーズにいかなかったようにも見受けられました。(この辺りが当厩舎の特徴であると、一部で批判もあるようですが。)
募集開始の第1次、2次では満口とならず、大晦日に出資ボタンをポチっとした馬。今思えば、当時はまだ会員数もそこまで多くなかったため、年末年始でも残口があった馬が何頭もいた。昨今の、1次募集からのし烈な争奪戦と、この頃と。果たしてどちらが良かったのかは分かりません。
プルママルカ(牡 2011年3月8日生 7戦0勝)
- 父:ゼンノロブロイ 母:ポトリザリス
- 角居勝彦厩舎
- 成績:平地 未勝利(1-1-1-8)
歴代出資馬の中での、最高出資額となったプルママルカ。馬体は申し分なし、厩舎も世界の角居厩舎で間違いない!・・・しかし中央未勝利で終わってしまうのは、自身の選馬眼の無さか(笑
新馬デビュー戦での上の写真、鞍上はCデムーロなのだが、よくよく見たらジョッキーパンツに「でむーろ」って書いてある(笑
500㎏を越える立派な馬格で、岩田騎手が跨った未勝利戦(デビュー2戦目)での後方一気のマクりは、かなりの迫力だったことが今でも記憶に残っている。とびが大きいぶん、どうしてもギアが上がるのに時間が掛かっちゃっていのも懐かしい思い出。
あまりに勝ち上がれないことから、友人の(競馬には興味がない)嫁さんには「バサシマルカ、勝った?」などと揶揄される始末・・・。7戦した後に地方移籍からの復帰を目指し1勝目を上げるも、2勝目が遠く断念、引退となってしまいました。余生はどうなるのだろう?と思っていたところオークションに出され「Green Wood Horse Stable」というシンガポール馬主クラブに落札されました。
シンガポール競馬にて4戦して2着1回。その後、追い切りにて骨折していまい、手術時に感染症に掛かり亡くなってしまったとの記載が・・・。プルママルカ、ありがとう。