2018/02/15
今年はもうずっと、大谷翔平に元気と勇気をもらっている。
今日はヒット打つかな?ではなく、今日もホームラン見られるかな?なんて感じで、もはや「ホームランが出るかどうか」という期待が当たり前のようになっている。
ビッグフライ!オゥタニサン!
ゴーン!ビッグフライ、オゥタニサン!とは、MLBの中継で大谷翔平がホームランを放った際、実況が発する定番のセリフです。
日本のプロ野球中継的に訳すと「これはイッタか?これは大きいぞ、大谷。入ったー!」みたいな感じでしょうか。
ついこの前、テレワークの日に前期試験を終えた娘が昼過ぎに帰宅した際も大谷がどれだけすごいのか?という話題になり。
この「ビッグフライオオタニサン集」の動画を見せたのでした。ちなみに同日「柳田がどんだけ変態的なホームランを放つのか」だったり「前回のWBCだったか、山田哲人が粘りに粘った末に放った逆転ホームラン」動画なども見せたくなってしまって。
YOUTUBEであれこれ検索してはテレビにキャストして見せているうち、テレワークな午後はとても穏やかに。そしてあっという間に過ぎ去ったのは、ここだけの話です。
https://youtu.be/6hTK4_uolCI
ビッグフライ、オゥタニサン!というセリフも好きだけど、どのホームランもミートした瞬間「カッ!」と真芯を捉える、乾いた打撃音が響き渡るのもすごい。
そして際立つのが、今週1週間の活躍ぶり。
はたして同じようなことが、この先あるだろうか?見られる時がくるだろうか?とすら思ってしまうので、いつの時代のことだったのかが分かるよう「2021年」という年も付け、今週1週間のオゥタニサン記録をここに残しておきます。
- 2021年6月15日(火) 18号ホームラン
- 2021年6月16日(水) 19号ホームラン
- 2021年6月17日(木) 6回1失点で勝利投手(3勝目)
- 2021年6月18日(金) 20号&21号ホームラン
- 2021年6月19日(土) 22号ホームラン
- 2021年6月20日(日) 23号ホームラン
わずか5日のあいだに5本のホームランを放ち、その真ん中では勝利投手なのである。(と書いた翌20日にも23号ホームランを放ったので追記しておきました!)
ロサンゼルス・エンゼルスの野球ファンがみな、大谷翔平の打席を毎回楽しみにしているであろうことはテレビ中継で見る表情から伺い知ることができる。
アメリカではコロナワクチン接種も順調に進んでいることから、球場の入場制限も徐々に解除されつつあるようで。マスクも無しに生き生きとした表情で応援している人たちの姿をテレビで見ると、また平穏な日常が徐々に戻りつつあるのだな、なんて嬉しくもなってしまう。
それはまるで、2020年から今も続いているコロナ禍という、これまでとちょっとだけ違う事態に対する鬱々としたものをオゥタニサンが投打で吹き払ってくれているかのようだ。
現地野球ファンと同じように、オオタニサンの活躍が楽しみで仕方ない今日この頃なのです。
元気なかぎり、キャッチボールは楽しみたい
そんなオゥタニサンの活躍に触発されてしまったのか。今年は暖かくなってきた頃から、ふいにキャッチボールがしたくなって。
日没も遅くなってきた頃から、テレワーク終わったあと近所の公園にひとり壁投げしに行ったり。職場の同僚に、昼休みキャッチボールしようよって誘ってみたり、機会あればキャッチボールを楽しんでいる。
数年前まで参加させてもらっていた草野球は諸々の事情で退部してしまったけれど、いまだにキャッチボールだけはしたくなる時がある。
これまでテニスやバドミントン、フットサルなどを楽しんできたけれど、やっぱり投げたものが相手から返ってくるって、そのやり取りが楽しい。
テニスだったらボールを返せば相手コートから返ってくるし、バドミントンもまた然り。フットサルなら味方同士でパスをし合ったりする連携がそれにあたる。
フリスビーだって同じだ。うまく放れなかったものでも相手が何とかして取ってくれると楽しいし、逆に相手が投げたものを上手く取れたら嬉しい。
これら全部、コミュニケーションの一部なんだと思う。だから楽しいんだと思う。
幼稚園児の頃から中学2、3年の頃まで、ふだんは寡黙な父が週末になると何故かキャッチボールしに行くぞ、って。土日のどちらかは、ほぼ必ずキャッチボールに付き合っていた。
あの頃は仕方なく付き合っているような感じだったけど、いざ自分も歳をとってきたらよく分かる。
キャッチボールは、父なりのコミュニケーション手段でもあったのだろう。
そんな父と最後にキャッチボールをしたのは、4、5年ほど前でしょうか。父、70歳の頃だったはず。その頃、いい歳して草野球が楽しくて仕方なかった自分は、生まれて初めて作ったオーダーメイドのグローブ見せたさもあり。ふと実家に帰り、当時まだ家の前にあった空き地で父とキャッチボールをしたのでした。
その頃すでに足腰は弱っていたけれど「(定位置で)受けて、投げるだけならイイさ」なんて快く受けてくれてね。
そんな父も、近頃さらに膝や足腰が悪くなってしまったようで、もうキャッチボールをする機会はないだろう。だからなおさら、あの時のことは良い思い出となった。
40と70過ぎの親子ふたりが、実家の前の空き地でキャッチボール。
むかしは、5歳と35歳がキャッチボールしていたんだ。それから35年経ってもボールを投げ合って。
キャッチボールって単純な遊びだけどそんな思い出があるからいいなって思うし、もはや遊びに子供も大人も、何歳かなんて関係ない。
ボール投げ合うだけで大人はいつでも童心にかえることができる。というか大人と子供の境界線なんていうもの実はなくて、大人はちょっと背伸びした子供なだけだ。みんな実は子供の頃そのまんまなのだ。
自身が中学、高校とこれまで自由に伸び伸びと身体を動かし、どんなスポーツでもそこそこに楽しめてきた土台には、父とキャッチボールする日々があったからだと思う。そこで球の扱い方とか体の使い方とか。恒例だった週末のキャッチボールで基本的なことを自然に得られたと思っている。
父の日に、あらためてそんなことを思い返しました。
たまに実家に帰ってもお互い何を話せばいいのか分からないくらい言葉のやり取りはないのだけども。
ただ、今でも健康で、キャッチボールだバイクだ何だって楽しめて。そんな身体で過ごすことができている感謝の気持ちをここに残しておきます。
面と向かって言うのがイチバンなのは分かってる。まぁでも言えないなぁ。言った途端になんだかぎくしゃくしちゃうもの。らしくなくなっちゃうというか。
あまり余計なこと言わず、それでも時には帰省して。美味しいもの届けたりオゥタニサンの活躍を一緒になってテレビで観たり。競馬を一緒に観たりしてね。
そういうことで気持ちのやり取りが僅かばかりでもできるなら、それでいいと思っている。自身も楽しみつつ同じ時間を過ごすだけで充分なんだ。
これまでも今も、いつでもありがとうと思っている。