2018/02/15
その昔、SONYのことを自国メーカーだと思っている人が、アメリカには大勢いる。
という記事を何かで読んだことがある。
お気に入り音楽のカセットテープを装填したら、外でもどこでも気軽に音楽を楽しめるウォークマンが当たり前のようにアメリカで普及して。
そして「SONY(ソニー)」という社名自体がまた、その普及を後押ししたらしい。そんな記事だった。
社名すら計算づくだったのかどうかまで定かではないけれど、SONYというネーミングと発音は英語圏の人にも馴染みやすい語呂なのだとか。
すごいぞSONY。まだまだ行けるぞSONY。
自分が住んでいる国のメーカーが世界でも認められているって、自分なにも関わっていないのに何だか少し嬉しくなっちゃう不思議。
身近なメーカーでなくとも実は世界的に愛されていたり必要とされている日本の会社って、想像以上に多いのではないでしょうか。
たとえば空調設備のダイキン、セラミックの日本ガイシとか。(これくらいしかぱっと名前が出てこないけれど、間違いなくもっと沢山あるはず・・・)
G-SHOCKって、すごいんだゾ!
CASIO(カシオ)も、きっとそんなメーカーのひとつのはず。
カシオといえば電子計算機(いわゆる電卓)を身近な存在にしてくれた会社という印象です。
面白いのはデジタル時計の分野に進出したあと、Gショックという時計が国内より先に海外で評判が高まり。まるで逆輸入のような形で、国内でも人気に火が付いたという記憶があります。
そんなGショック。自身にとっての初Gショックは大学入試に合格したときのことでした。
当時は遠い国(と言っても日本国内)に住んでいた兄に「入学祝い、なんか欲しい?」と聞かれ。
すぐさま「Gショック!」と答えた。
しばらくして宅配便で送られてきた袋を開けると、中に入っていたのは紛れもなく憧れのGショックだった。
1万円少々だったけれど、当時まだ高校を卒業したばかりの自分には高嶺の時計。当然、気軽に買えるモノではなかった。
それはきっと兄も同様で、生活費の中から捻出してくれたのだと思う。もしかしたら「なに欲しい?」って聞いておきながら「Gショックだと!?このヤロウ」なんて、内心は思っていたのかもしれない・・・
ストップウォッチを起動すると時計上部の黒いフシが端から端へ、タタタタタっとタイムを刻んでいく、とてもカッコいいタイプだった。
もちろん大学時代は毎日これを着けてキャンパスへ行っていた。
キャンパス・・・
いま、キャンパスって言いました?
自らキャンパスって言葉を口にして思ったけれど、何でしょう・・・この「キャンパス」というワードを混ぜこむだけで「えぇ、えぇ。青春を謳歌していましたとも」みたいに聞こえる不思議。
ちなみにキャンパスライフを謳歌しているとは、一体どんな学生のことを言うのだろう。
ここで、キャンパスライフを謳歌しているユウイチくん(仮名)を例にイメージしてみました。
まずユウイチくん、間違いなくテニスサークルに所属していると思う。夏はテニス、冬はスキー&スノボみたいなサークル。
サークル名はそうですね・・・「Wish & Smash」とでもしておきましょうか。一応スマッシュという文字を入れておくことで「本質はテニスにあるんだぞ(一応)」という感じに。
そんなサークル、当然ながら夏のテニス合宿は軽井沢、上高地あたりにて毎年行われるでしょう。
テニス合宿と言いつつ、最終日は軽井沢アウトレットモールに立ち寄っちゃったりするでしょう。
そして季節は変わり、冬のスキー合宿ともなれば苗場や上越国際あたりが定番でしょうか。もう少し足を伸ばし万座などに向かえば、滑り終わったあとに温泉も楽しめますね。
で、ここがいちばんの本題なのだけど、そんなサークルの男女比率は6:4、は行き過ぎだろうか。それでも7:3は固いと思うのです。
キャンパスライフというと、そんな夢のようなシチュエーションであるというのが自身の勝手なイメージで。
当然、ささいな間違いなんてものは日常茶飯事でしょう。きっと。
ささいな間違いという言葉で、ふと思い出した小話。
年に1、2回ほど一緒にキャンプするオッチャンがですね。お酒がすすむと、昔に所属されていた会社時代の話になるのです。(もう、何度聞いただろう)
いわゆるバブリーな頃の時代でしょうか。
会社が全社員ぶんのカネ出して、熱海あたりに社員旅行へ行ったりしたっていう話。(しつこいけど、これも何度聞いただろう・・・)
男女別部屋の社員旅行なのに、夜になるとそんなの関係なく色々な部屋で酒盛りがはじまってるワケよ。
なんていう話を聞いて。
そして最後に、ツッコミのような質問をぶつける担当が自分です。ツッコミというより、もはや「締め前の投げかけ」と表現したほうがいいかもしれません。
「そんな状況で、間違い起きたりしなかったんですか?」って。
そうすると、オッチャンの返しは決まってこうである。
「そんなん間違いだらけよ」
まるで「あたりめぇだろうが。オメー野暮なこと聞くなヨ」という感じの、ぶっきらぼうなヒトコトで締めくくるのである。
話が、逸れに逸れてしまいました。伊藤智仁の高速スライダー並みに逸れてしまいました。
というわけで、Gショックを身につけキャンパスに通っていたと先に表現してしまったけれど。
自身にはそんな間違いじみたことが一切なかったにも関わらず。うかつにも、そしてつい見栄を張って「キャンパス」という言葉を用いてしまったことを、ここにお詫びしておきます。
2代目G-SHOCKにまつわるエピソード
そんな自身にやってきた、2代目Gショック。これもまた自身で購入したのではなく、頂き物です。
その時のことも忘れはしやせん。
とある友人が経営しているお店に、ぶらっと遊びにいったときのこと。
左手首に、これまで見たことのないデッカいGショックを着けているのが目に留まり。
そのGショックなに?と尋ねると、なんでも歴代Gショックの中でも最大級のサイズとのことで。
帰宅してからもあまりのインパクトが気になっちゃって気になっちゃって。
買おうかなぁ、どうしよかなぁって、半年くらい悶々と過ごしたある日のこと。
職場へ向かう途中、出勤前に落ち合った京葉線は新浦安駅の改札で「ほら、これ」ってスーパーの小さなビニール袋を渡されて。
ナニコレ?って中を覗くと、そこに入っていたのは憧れのビッグサイズGショックだった。
え?なにこれ。って言うと、あげるよって。
何なのそれ。何のサプライズなん。
やめてよ、そんな出勤前の朝、改札越しに渡すなんて卑怯やん。
これ何の演出。惚れてまうがな。
って訳も分からず、なぜか怪しい使い方の関西弁になってドギマギしてしまう自分。
出勤前の朝、わざわざ途中駅で下車して落ち合ったのは、確か数日後にマキシマムザホルモンの新木場ライブを一緒に観に行く約束をしていて。
お互い仕事の都合で会場入りできる時間が違いそうだから、前もってチケットを渡しておくとかそういう話で待ち合わせした記憶がある。
そんなやり取りとは別に、いきなりスーパーのビニール袋を渡されて。その中にGショック入っていたら誰だって驚くじゃないですか。
あのサプライズ、ほんとに何だったの?
そんなサプライズに驚きながらも、ありがたく頂戴いたしまして。
譲り受けたその年、夏の北海道ツーリングにも身に着けて行った大切な相棒となっております。
あと、これもまたGショックとは関係ないけども。
この時に行った新木場でのマキシマムザホルモンのライブの時、もう、うちの犬あとどれだけ持つだろうか。というような感じで。
そんな時にライブ行って楽しむって、いいのか?とか、ほんとに楽しめるのか?なんて思いつつ向かったことを覚えている。
ライブ後の車のなかで「実はうちの犬さぁ・・・」なんてことぼそっとつぶやいて。ただ、それだけでも随分と気持ちが楽になったことも覚えている。
「あー分かる」くらいで、大した会話を交わした記憶はないんだけど、犬を飼ったことのある人同士なら、きっとそのヒトコト、フタコトで分かっちゃうところがあるんだろうか。
うちの犬もうすぐ死んじゃいそうなんだよね、って言ったあとに返ってきた「あー」だけで、随分と気が楽になったもの。
ライブが終わったあと、確かお腹空いたよねって「くるまやラーメン」にラーメン食べ行ってね。何だかこのあたりの記憶は、今となっては定かでないのだけど。
ずるずるとラーメン食べている間も、内心はうちの犬のことが気にはなっていたんだけど良い時間だった。
ただラーメンすすっているだけなのにね。それがまた、よい息抜きになったのでした。
今こんなことあるんだよね・・・って悩みっぽいものをぽろっと言ってみるって、何でもないことのようだけどけっこう大事なことなんだな、と改めて思ったのはこの時でした。
言葉にして吐き出してしまえば、もうそれだけで「悩みのカタマリ」みたいなものは、ふわふわと空気中を漂う別のナニかになるんだろう。
くらげには失礼だけど、これって自らの意思で泳いでるのかな?それとも、漂ってるだけなんかな?と同じように、悩みなんて抱え込む前にほわぁっと空中に漂わせちゃえばいいのだろう。
たまに、聞かされた相手がそれを「ぱく!」っと食べちゃったりもして、当の本人以上に抱えてしまったりするケースもあるけれど・・・むやみに口に入れてはいけません。「あー」とか「そっかー」くらいの言葉が、ちょうどいいのかもしれない。
ホルモンライブの日は、そんなふうに1日だけ息抜きさせてもらって。それからまた毎晩、犬の看病する日が続いた。
最後の1週間は、抱っこしていないと夜も寝なくなっちゃって。
明け方まで抱っこし続け、赤子を寝かしつけるように立ってゆらゆら。しんどくてソファに座っても抱っこしてウトウト。
別に呆けているようなわけでもなかったら、なんで夜に眠れなくなっちゃったのか不思議だった。
ただ今にして思えば、きっと夜に寝るのが怖くて仕方なかったんだと思う。自分の身に起きていることが、たぶん分かっていたんだろう。
そんな日が続く中、さすがにこれはもう体力が持たん・・・と、思い始めた1週間後の週末、安らかに息を引き取りました。
脱線続きの内容になってしまったけれど、大学の合格祝いとキャンパスライフ(笑)、北海道ツーリング、犬とのお別れ。
初代Gショックと二代目Gショックには、そんな思い出がたくさん詰まっているのです。