FTR223と行く

FTR223からVスト250乗りになりました。明日はバイクと、どこ行こう。バイクでトコトコ、どこ行こう。

彼岸のお墓参りとVストローム、実家ねこ

time 2021/04/21

彼岸のお墓参りとVストローム、実家ねこ

すこし前の話になってしまったけれど、お彼岸であるということをTwitterにて知り行ってきました。Vストでお墓参り。

彼岸のお墓参りとVストなんていう下書きをずっと残したままにしていて。お彼岸時期も気づけば過ぎちゃったし、何だかこれはもう、このままでいいかなと思ったけども。

あらためて下書きを開いてみたら、かなり書いていて。せっかくならと今頃になってあげてみることにしました。

あと「行ってきました」と言っても、バイクだったら15分もあれば行ける距離にある祖父母の墓前です。重い腰をあげなければ・・・なんて距離でもないから、何もたいそうなことではないのだけれども。

行くあてもないときこそ、バイク乗ってお墓参りでホッと一息

バイクに乗るようになってから圧倒的にお墓参り回数が増えた。と言っても両家あわせて1年のうち10回にも満たないほどだけど。

そしてそれは今のVストロームに限らず、FTRに乗り始めた頃から続いている。

この1枚も実は霊園内だし・・・

この間に行った時も、ほぼ同じ場所で撮っていたりする。

 

こんな感じで、FTR時代からVストロームに乗り替わった今でも気軽に(と言ってはホントご先祖に失礼かもだけども)行くようになった。

何と言うかこう、いざ週末になっても土曜の朝に起きたとき、遠出するまでの元気がないゾ?それでも何処かへぶらり行こうか。行きたい。

そんなふうに思ったら今も昔も、ふとお墓参りプチツーリングが浮かんだりする時があるのです。

ぶらっと何処かへ行こうと思った時に「そうだ。久しぶりお墓参りプチツーリングするか」って思えるほどの距離にお墓があってよかったとさえ思う。

これが自宅千葉からはほど遠い、たとえば東北だったり関西に先祖のお墓があったとしたら、そんな発想すら浮かばないと思うもの。

そして、たまに心がささくれ立ってきているかもって感じること、誰でもそんな時がないでしょうか。

肌が荒れてくると出てきてしまう指先の「ささくれ」と同じように、ちょっとだけ心が荒んできている気がする・・・ぐむ。とか、何だか気持ちがざわざわしはじめているような感覚。

目の前のことだけに注視してしまうあまり、時にイライラしてしまったり。また時に自身を急かしてしまっているような感覚に陥るとき。

誰にでもそういう時があると思ってる。(気づく人と気づかない人がいるだけで、モチロンどっちがいいのかなんて分からない。どっちでもイイと思う)

自分はそんな風に感じたとき、ぶらっとバイクでお墓参りに行って墓前で手を合わせたなら、それだけで少しばかり落ち着くような感覚になる。

 

そんな墓前で手を合わせる時は今も昔も変わらず、いつも娘のことだけをお願いしている。

「○○(娘の名前)と、○○に関わってくれるすべての人が今年1年を明るく楽しく、元気に過ごせますように」

いつでも、これだけ。分かりやすいし何の迷いもない、ただひとつのこと。普遍的なことって表現するのが合っているだろうか。

もちろん自分のしたいことだったり小さな悩みとか。その時によって小さなこと色々とあるけども。

ただ、祖父母に向かって何かひとつお願いができること、伝えられることがもしもあるのだとしたら自分にはこれ以外いったい何があるだろう。

これから先、その時そのときで報告すべきことは(嬉しいことはもちろん、悲しいことも)あるかもしれないけれど、どんなに歳をとったり自身の生活が変わったり。いずれ娘と離れて暮らすことになったとしても、墓前でお願いすることはこれからも変わらないと思っている。

 

生前、祖母に2回だけ我が子を会わせることができた。娘が生後5か月とか6か月とか、それくらいの頃だったはず。

病室で寝たきりの祖母がその時に言ってくれた「病気させるんじゃないよ。大事に育てるんだよ」という一言は、今もずっと心の何処かに残り続けている。

そして、それが祖母とまともに交わすことができた最期の言葉でもあった。

そんな会話の数か月後に祖母は他界、あれからもうすぐ10余年が経とうとしているけれど、幸いにして娘は大きな病気に罹ることもなく明るく元気に育ってくれている。

病気をさせないようにって何を大げさな、って思ってしまいがちだけれども。祖母の時代の子供はちょっとした病気が生死に関わることだったのだろう。

今は食に困ることもないし、ちょっと具合が悪かったらすぐに病院で診てもらえる。薬だって出してもらえて。これって実は本当に恵まれていることなんだろう。

祖母も、戦中か戦後かはっきりしたことまでは分からないけれど幼い子を2人亡くしている。

そんな時代も経験してきたからこそ、そんな時代を知っているからこそ祖母は最後にそういう言葉をかけてくれたのだろう。

だからこそ「今もウチの娘は元気にやってます」ということを報告するために行っているようなところがあるのかもしれない。

 

そんなお墓参りのあと、ついでにぶらりと実家へ寄った際に「今日お墓参り行ってきたから」とだけ伝えると、どこか嬉しそうなホッとしたような親の表情を垣間見ることができるのも安心する。安心というか、ホッとするひと時だ。

決して親の代わりに行っているつもりはないのだけど、行ってきたと伝えるだけで、ありがとうとも言ってくれる。

世代は違えど同じ血の繋がりなのだから誰が行っても普通のことだろうに、そんなありがとうもちょっと嬉しかったりする。

そして花も供えてきたと言うと、たまに献花代をくれるから。要らないって言っても渡してくるから。

もしこれから先お金に困るようなことがあったら、お供えなんて一切していないのに「お花も供えてきたかんね」って堂々とウソつこうと思ってる。

実家ねこが、どんどん気を許していってくれている

今回の彼岸お墓参り後も、実家に立ち寄った。実家もわりと近くて気軽に行ける距離にある。

そんな実家には、10年ほど前から住み着いた「ココ」という名の雄猫が住んでいる。

うちの母は根っからの猫好きで。猫と暮らしていない時期のほうが短いのではないか?というくらい、代々ねこと暮らしているような感じ。

そして面白いことに今の猫もその前の猫も、これまで一度もペットショップで買ったりした猫ではない。

前に住んでいた猫は「ミノシュ」という名の猫で、たしか従姉がヨーロッパのほうに移り住むことになり。さすがに猫まで連れていけないというので、実家隣にある叔父の家で面倒を見てもらおうと委ねられた猫。ただ、慣れない環境に警戒したのかわずか数日で脱走してしまって。

どこか知らぬ土地へ行ってしまったのか?と思いきや、実家の前にある道路を挟んだ向こう空き地の雑居ビルの2階、当時誰も住んでいなかったベランダの室外機上を寝床に決めたようで。家のベランダからもその姿が見える位置で暮らしはじめた。半グレならぬ、半ノラといったところだろうか。

で、ご飯時になると母が玄関先から餌を出してあげる。そうすると向こうの室外機の上から、ひょいひょいと他の建屋を器用に伝って降りきて。玄関先のご飯を食べてはまた、ひょうひょいと伝って空き地むこうの軒先に戻って寝る。

それが次第に玄関の外ではなく、玄関の中でご飯を食べるようなったりして、どれくらい経った頃だったか。気づいたらいつからか実家ねことして暮らすようになっていた。当たり前のように、で~んと家のソファでくつろぐようになっていた。

そんな先代ねこも老衰で亡くなり、1年くらい経った頃だろうか。いまの「ココ」という名の猫は、野良猫なのか迷い猫だったのか、ある日突然ふらふらと実家にやってきて、今こうして両親と暮らしている。

こんな格言はないと思うけれど「猫は、猫好きな人のところへやってくる」ということがあるんだと思う。ないならないで今ここで格言として作りたいくらい、本気であると思う。

そんな風に思ってしまうくらい、うちの母はなにか猫を引き寄せるフォースがある。間違いなくある。

猫には猫で、自分を可愛がってくれる人を見極める人の目には見えない能力があって、母には母でそんな猫を引き寄せるフォースがあるのだ。

そして今お住いのココ。この猫がけっこう手強く、なかなか気を許してくれなかった。少し前までは自身が家に上がるだけで一目散に押し入れに隠れたり、寝床に潜ってしまったり。

それが最近になって、ようやく心許した態度を見せてくれるようになったのである。やっと認めてもらった気分です。

一応、自分にとっても実家なんですケドも。でも今はもう、実家ネコが主(あるじ)みたいになっている・・・

こんな油断したお腹を見せてくれるまでの信頼関係(と勝手に思っている)が、築けるまでになりました。

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このVストに乗っているひと

けんけん

けんけん

千葉県は、ふなっしーと同じ市に住んでいます。鉄馬も好きだけど、本当の馬も好き。一口馬主やっていらっしゃるライダーさんいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。「FTR223と行く」ブログを書き始めたら、なおさらバイクへの愛着が増してしまったので、そんな愛情をココにどんどん残していきます。どうぞ宜しくお願いします。